日本人が知らない本場ヨーロッパ紳士のクラシックカーの楽しみ方

    人々の移送手段となる「自動車」が世界で初めて登場したのは、1769年にフランスのキュノーが開発した蒸気三輪自動車でした。当時江戸時代の日本では駕籠か馬しか移動手段はなく、1907年に初めて自動車が登場した時には世界から1世紀半出遅れていました。その遅れは、現在、日本の技術力で取り戻してはいるものの、欧米に劣らぬ真の自動車文化が根付いているかどうかはまだまだ疑問が持たれるところです。

    今回は私が暮らすヨーロッパにおいて、どのように人とクラシックカーが関わり、クラシックカーライフを楽しんでいるのか、経験談を交えながらご紹介してまいります。

    Contents

    クラシックカー文化のはじまりと歴史

    初めて自動車が登場したヨーロッパにおいて、19世紀まで自動車は特権階級による限られた範囲の貴族趣味として、技術としてではなく「芸術文化」として根付いていきました。1900年代にフランスで始まった量産を皮切りに、アメリカでフォードによる大衆車の量産が始まると、車は大衆の足として実用的な側面が強調されました。一方で、ロールスロイスなどの高級車の登場により、再び貴族や富豪による「スノビズム」が車を芸術へと押し上げます。

    そして1906年にフランスで開催されたACFグランプリを皮切りに、インディやルマンなどスピードを競う「技術」に焦点を当てた自動車文化が登場し、ここでクラシックカー文化は「芸術」と「技術」という二極化に対峙したのだと思われます。勿論、どちらも相互作用は必要なので芸術と技術を切り離すわけにはいきません。戦後、民衆の力が増大し大衆車が普及すると、「実用性」「機能性」に焦点が移り、車文化は三極化していきます。

    現代のクラシックカー愛好者もまた、こうした三極化を反映しているところがあり、優雅でエレガンスな高級車派、レースで映えるスポーツカー派、レトロさが愛らしい大衆車派、に大きく分けられますが、クラシックカー愛好者は基本的に全てを愛すべき対象として受け入れているようです。

    世界のクラシックカー愛好者の共通点

    クラシックカーの歴史と文化が異なるヨーロッパと日本においても、高級な新車や外車でなく、クラシックカーを愛する愛好者には共通する点があります。それは、クラシックカーの歴史とその時代が育んできた文化をも愛するという「教養」を持ち合わせていることです。例えば、高級スーパーカーにスーパー美女を乗せて得意気な成り上がりのヤンキーとは、共有できない愉悦を知っているということです。

    もう一つの共通点は、車にただならぬ「深い愛情」を持ち合わせていることです。クラシックカーはメンテや部品調達など手間と労力が伴う面倒な代物です。毎日滞りなくメンテし続けなければポンコツ化は必須、いつどこでエンストを起こしてもおかしくない繊細な乗り物です。そんな「傷つきやすい彼女」を優しくいたわり、至れり尽くせりの世話をしてくれるオーナーは、そのDNAに極め細やかで深い愛情が組み込まれているのです。

    そんな共通点を持つ愛好者同士ですから、ひとたび話し出せば共通の話題や共感できることが多く、コミュニケーションも円滑ですぐに友だちの輪が広がります。いろいろな社外活動や娯楽があれど、クラシックカーの世界は濃密で幅広い交流を楽しめる世界でもあるのです。

    クラシックカーとヨーロッパの日常生活

    クラシックカー文化が息づくヨーロッパと日本を比較して、圧倒的な違いを感じるのは「クラシックカーの日常使い」です。日本人は裕福で高級車や複数のクラシックカーを所有しながら、外で乗り回さない人が多いようです。休みが少ない、休日はどこも渋滞、気楽に乗り回せる道路環境が少ない、といった悪条件も重なり、愛好家の集いやツーリングで組織的に走行するしか快適に乗り回せる機会はないのかもしれません。しかし、「車は走ってなんぼ」、走らせなければ車の意味をなしません。特にクラシックカーは走らせなければメカ機能低下、メンテ労力増加という悪循環に見舞われますから、どんな車も走らせた方が得策です。

    英国では2つの大学院に留学しましたが、クラシックカーが日常生活で使われているシーンを何度か目にしました。最初の大学院で友人となり現在同志社大学教授となっているK女史は、毎日クラシックなオースチンミニで通学し、一緒にドライブを楽しんだりしました。2つ目のオックスフォード大学院では、チューター/講師が専用の黒マントを羽織って、毎日イングリッシュグリーンのモーガンで通学していて、イケメンでなくともカッコよく見えました。フランスの職場ではジローラモ崩れのフランス人職員が毎日ロータス7で通勤していて、何度か乗車させてもらったこともあります。

    クラシックカーを日常で使う、これほど粋なことはありません。生活に溶け込むクラシックカーライフを満喫することこそ、真のダンディと言えるでしょう。公道で乗るには勿体ないような豪華なクラシックカーもあるかもしれませんが、本来動く物として作られた物は動かしてあげなければその魅力を全開で発揮しきれていません。仕事で余暇の少ない日本人でも、こうした日常使いならいつでも使いこなせるので、是非多くの日本人にも見習ってもらいたいものです。

    クラシックカーは自己実現の手段

    クラシックカーのオーナーになることが夢であったり、人生の目標である人も少なくありません。それは自分が本来欲しかったもの、なりたかったことであり、仕事やプライベートで少なからず「仮面」をつけざるを得なかった自分が、本来の自分を取り戻せる手段でもあります。ありのままの自分に戻る=自己実現は、社会貢献につながって完成すると言われますが、クラシックカーを愛することは実は立派な社会貢献になっているのです。

    1.目の保養

    まず人を楽しませてくれます。クラシックカーが走っているだけで目の保養になり、いつもの見慣れた街並みの風景が違って見え、いいものを見せてもらった充足感を味わえます。クラシックカーのミーティングやツーリングは、参加者だけでなく見学者にとってもお祭りであり、芸術作品を無料展覧してくれる有難いパフォーマンスなのです。

    2.車文化の継承

    ヨーロッパでは、クラシックカー関連のExpoやミーティングに、親子連れで参加する人も少なくありません。小さい頃からクラシックカー文化に触れることで、自動車の歴史や職人技に興味を持ち、その方面へ進路を固める子供たちも沢山います。父親の趣味を子供に押し付けるのではなく、父親の趣味を子供が喜んで受け入れるのも、余暇も多く家族間の交流が密なヨーロッパならではの堅固な家族の絆の証かもしれません。

    まとめ

    ヨーロッパにおけるクラシックカーとの付き合い方、いかがでしたか?

    人権が尊重されバカンスの多いヨーロッパならではの人生の楽しみ方とも言えますが、彼らは仕事は仕事と割り切り、遊ぶ時は思いっきり遊びます。クラシックカーの趣味は、その車を愛しその時代を生きた祖父や父に思いを馳せ、童心に戻ってありのままの自分をさらけ出せる自由な時間を与えてくれます。

    限りある人生、自分のための時間を本当に好きなことに大切に使ってみませんか?

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