ガソリン自動車を発明し、現在も自動車業界を牽引する、自動車の代名詞『メルセデス・ベンツ』。その歴史はガソリン自動車の歴史でもあります。そんな長い歴史の中から生み出された数々の名車は、現在もクラシックカーとして多くの愛好家に大切にされています。そんな『クラシックメルセデス』の世界をご紹介します。
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メルセデス・ベンツの歴史
現在活動している世界中の自動車メーカーの中で最古の歴史を誇るメルセデス・ベンツ。その長く重要な歴史は、ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラーとカール・ベンツという二人の創設者のストーリーから始まります。
自動車の生みの親と称されるメルセデス・ベンツの二人の創設者
モーターサイクルの生みの親「ゴットリープ・ダイムラー」
ゴットリープ・ダイムラーは1834年3月17日にドイツ南西部ヴァルテンブルク・ジョルンドルフのパン屋の息子として生まれました。幼い頃から機械好きだった少年は実家の家業には興味を示さず、働けるようになると地元の鉄砲鍛冶で働くようになり、金属の基礎を学びました。その後、シュトゥットガルト工芸学校、シュトゥットガルト工科大学に進み先進的な技術を学ぶようになり、主に蒸気機関の技術をマスターします。卒業後は原動機に関する仕事をいくつかの会社で行った後、1875年に“内燃機関の父”とされるアウグスト・オットーが設立した会社に工場長として入社しました。そこでビジネスパートナーとなるウィルヘルム・マイバッハと出会い、共に世界初の4サイクルエンジンの運転実験に成功するのでした。そしてこれを受けてダイムラーは1890年にダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社を設立し、マイバッハと共に自動車開発を本格的にはじめます。
世界初のガソリン動力付き自動車を発明した「カール・ベンツ」
一方もう一人のメルセデス・ベンツの創業者「カール・ベンツ」は、1844年11月25日に南ドイツのカールスルーエ近郊で鍛冶屋の家系に生まれます。カールベンツの父親は当時普及が始まった蒸気機関車の運転手をしていましたが早くに亡くなり、その後カール・ベンツは母親一人に育てらました。カールベンツは、カールスルーの工業大学を卒業後、2サイクルエンジンの研究をはじめ、1878年に完成させます。そして1983年に自らの会社であるベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク社を設立して4サイクルエンジンを完成させると、そのエンジンを3輪車に搭載し、1886年には世界初のガソリン動力付き自動車を完成させました。
メルセデス・ベンツの誕生
ダイムラーとベンツは同じドイツでそれぞれシュトゥットガルトとマンハイムを拠点に独自に自動車開発を進めていましたが、先にガソリン自動車としての特許を手にしたのはベンツの方でした。三輪自動車である“モトールヴァーゲン”がガソリン動力付き自動車としての特許を取得します。一方、ダイムラーは、ベンツがモトールヴァーゲンでガソリン自動車の特許を手にする前年にガソリン原動機の特許を取得し、その後世界初の四輪自動車を完成させたものの、ぎりぎりのところで間に合わず、特許を逃したのでした。
こうして誕生したガソリン自動車ですが、決して最初から世間に温かく迎えられたわけではありません。当時の自動車は非常に非力でスピードも遅く、当初は馬車の代替品程度としか見られていませんでした。そこでダイムラーもベンツも改良を続け、数年後にはレースが行えるまで高性能な工業製品へ自動車を発展させます。
ところで、その時期のダイムラー社最大の顧客に実業家エミール・イェリネックがいます。彼はレーサーとして、ダイムラー製レーシングカーに11歳の愛娘「メルセデス」の名前を付け活動していました。そしてメルセデスと名付けられたダイムラー製レーシングカーは数々の優勝を果たし、高い評判を得ます。それからイェリネックの提案もあり、ダイムラー社の販売モデルには「メルセデス」の名が付けられるようになります。そしてこのメルセデスブランドの販売車は非常に評判が良く、ダイムラー社は1902年に商標登録を行います。さらに1909年にはメルセデス・ベンツの象徴的なエンブレム「スリーポインテッド・スター」も商標登録され、現在に至るまで受け継がれています。
時は過ぎ、1920年代に入るとドイツは第一次世界大戦終結後の急激なインフレに見舞われ、経済危機に瀕していました。この状況の中、ベンツ&シー社も経営危機に見舞われ、他社との合併で生き残りを模索します。何度も交渉の末、ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社と1924年5月1日に「相互利益に関する協定(Agreement of Mutual Interest)」を締結し、合併を目指す事になります。そして1926年、両社は正式に合併し、新会社「ダイムラー・ベンツ」を設立。本社はダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社の本拠地であったシュトゥットガルトに置き、エンブレムは、ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社のスリー・ポインテッド・スターの外側にベンツ&シーの「BENZ」を刻んだものが採用されました。また、ダイムラー・ベンツ社が販売する全ての自動車をダイムラー社が所有していたメルセデス・ベンツブランドで販売する事もこの時に決定したのでした。
レースでの伝説
メルセデス・ベンツの歴史においてレースシーンでの活躍は外せません。メルセデス・ベンツのレース活動において有名なエピソードはいくつもありますが、メルセデス・ファクトリーチーム「シルバー・アロー」についてはその誕生のエピソードが非常に有名です。
メルセデスのファクトリーレーシングチームが、初めてシルバー・アローと呼ばれることになったのは、グランプリカーの新しい車両規定がスタートした1934年の事でした。この年、必勝を期してメルセデスチームは、斬新な流線形のアルミボディを採用した当時もっとも先進的なレーシングカー「W25」を投入します。ところが、デビューレースとなった6月の国際アイフェル・レースでは、メルセデスチームにとってかなりドラマチックな展開となりました。
メルセデスチームのだれもがレーシングカー「W25」の性能に絶対の自信を持っていましたが、予想もしないところところで問題が勃発します。それはレース前日の夕方に起きます。
レースは一般的に、本レースの前日に車検でレース車両が規定に準拠しているかチェックが行われますが、純白のカラーリングを施していたメルセデスのレーシングカー「W25」は計量を受けた際に、レース規定の車重750キログラムを1キログラムオーバーしていた事が発覚します。この1キログラムはレーシングカーにとっては非常にハードルの高い1キログラムでした。そもそもレーシングカーは究極的に計算され軽量化が図られており、ムダなものは何ひとつないからです。そこで悩みに悩んだメルセデスチームは、ボディのすべての塗装を剥がし取る事を思いつきます。純白に塗られた塗料を剥がすことで1キログラムの軽量化を図ることにしたのです。この作業は夜を徹して続けられ、レーシングカー「W25」は翌朝、再び計量にやってきます。
観客や関係者はその姿を見て驚きます。前日、純白だったW25のボディーは、アルミ地肌そのままの姿になっており、シルバーに輝いていました。これはまさに“銀の矢(シルバーアロー)”のようでした。ここの事はレースがスタートする前から観衆に強烈なインパクトを与えたのです。そして再び計量が行われると見事、規定重量ちょうどで計量をパスし、レース参戦が許可されます。 そしてレースが始まるとW25は期待通りの走りをみせ、舞台であるニュルブルクリンクのコースレコードまで更新して完全勝利します。シルバー・アロー伝説が始まった瞬間でした。
このレース以降、レーシングカーW25を擁するメルセデスチームは、快進撃を続け、翌1935年にはヨーロッパ・チャンピオンを獲得します。そしてメルセデスチームは、W25に続きW125、W154と次々に高性能なレーシングカーを投入し、第2次世界大戦でグランプリ・レースが中断される1939年まで数々の勝利を重ねていきました。そして伝説となったシルバー・アローの呼び名は現在も続いており、F1グランプリやル・マン24時間レースでしばしばメルセデスチームを形容する言葉として使われています。
メルセデスベンツの代表的モデル
スポーツカー
現在まで続くメルセデス・ベンツの伝統あるフラッグシップスポーツカー『SL』。今や伝説となっている300SLから始まるSLシリーズはクラシックメルセデスでも中心的な存在です。
300SL メルセデスベンツ300SLの詳細はこちら>>
190SL メルセデスベンツ190SLの詳細はこちら>>
280SL メルセデスベンツ280SLの詳細はこちら>>
クーペ・セダン
現在でも続く最上位モデルのSシリーズの起源ともいうべき300シリーズや280SEなど優美なセダンやクーペなど豊富なモデルが揃っています。
280SE メルセデスベンツ280SEの詳細はこちら>>
クラシックメルセデスの魅力
1.工業製品としての完成度の高さ
自動車の誕生から現在まで世界のトップを走り、自動車開発を牽引してきたメルセデスは各年代で非常に高いレベルの自動車を世に送り出しています。その中でも1990年代までのメルセデスは非常にコストをかけた製品作りを行っており、金属加工技術の高さや設計の緻密さなどを随所に感じ取れます。1950年代以前のモデルに至っても現在の交通事情にも問題なく対応し、現代車のような電子制御が一切ないにも関わらず、高速道路の追い越し斜線をストレスなく巡航することも可能です。
2.豪華なデザインと作り
クラシックカーの中でもクラシックメルセデスが他のメーカーと大きく異なるのが、内装の豪華さです。重厚で高級感のあるシートにメッキパーツで装飾されたダッシュボードなど、美術品としての美しさがあります。また、外装デザインも各年代に違いがありますが、それぞれ存在感のある優美なデザインは走りだけでなく眺めているだけで満足出来ます。
3.重厚感のあるしっかりとした乗り心地
しばしばクラシックメルセデスの大きな特徴としてボディ剛性の高さが挙げられます。工業製品としての完成度の高さに関係するものではありますが、大きな頑丈な鉄の箱の中に入り、その箱がスムーズに動く感覚はクラシックメルセデスならではです。また1960~1970年代のクーペやセダンタイプは優雅な乗り心地の味付けで船に乗っているような感じもあります。どちらにせよ、乗っていて非常に優越感を感じられるのがクラシックメルセデスの良さとなっています。
4.壊れにくい
クラシックカーは壊れやすいというイメージがあると思います。確かに生産されて長い時間が経っている為、個体によってはメンテナンスがされず、厳しい状態になっているクルマもあります。しかし、しっかりとメンテナンスされてきたメルセデスは非常に頑丈なクルマで故障はほとんどしません。基本的にパーツ単位で見ても完成度が高く、クルマ事態もしっかりと設計されているので信頼性は非常に高いのです。ただ、その反面、パーツは高価となっており、故障の際には修理代が他のメーカーよりも高くなる傾向があります。逆にイギリス車はパーツは比較的安価で手に入りますが故障頻度が高いのが特徴です。
5.メンテナンス体制が強力
ヨーロッパ車メーカーの多くはクラシックカー部門を社内に持っており、メーカーとしてクラシックモデルの維持に積極的な姿勢を持っています。当然メルセデスベンツもクラシック部門でパーツの供給からレストアまで行っています。また、北米などでは新車販売しているメルセデスディーラーにパーツセンターが併設され、クラシックモデルのパーツも容易に手に入る体制が構築されています。
クラシックメルセデスのメンテナンス
現代車のようにメンテナンスフリーとはいきませんが、特別なメンテナンスが必要というわけではありません。通常はオイル類のチェックやタイヤの空気圧の確認、ボルト類の緩みのチェックのような基本的な部分で大丈夫です。
クラシックメルセデスのクラブ
クラシックメルセデスは、メルセデス公認の世界的クラブからモデル毎の同好会的なクラブまで様々なクラブが活動しています。その中でMVCJが日本で歴史も長く代表的なクラブです。同クラブはメルセデスベンツ公認のクラシックメルセデスのクラブとして最も権威のあるメルセデス・ベンツ・ベテラン・クラブ・ドイツ(MVC)の日本支部として1980年に設立されました。現在もクラブミーティングやクラシックカーイベントへの参加など積極的に活動しています。入会資格は1972年(W114,115は1976年)までに製造されたメルセデスベンツのオーナーになっています。